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REPORT
2003年8月7日
舞踏公演「燃える珪化木」中野テルプシコールにて
ギターと二胡のインプロビゼーションで始まりました。
二胡もアンプを通し、その低いざらついた響きが意外にいい感じです。
無秩序でランダムな音のうねりが気持ちよく、即興の演奏は難解とか何を表しているのかと言われることもあるかもしれませんが、パソコン等で疲れぎみの脳には、それとは正反対の波動が、むしろストレス解消になります。
踊り手が加わります。自由な動きです。
二胡を弾いていた女性がこんどは太鼓をたたいたり、ころがしたりし、男性の踊り手は祈るような動きや、寝転んだりもします。その場を感じながらも無意識を解放しようとしているように見えます。日常の中では、自分を意識から解放することは難しく、むしろ、理性的であること、意識によって自己をコントロールすることがよしとされる場合が多いですが、それをとりはらうような踊りです。病的にも見えるその動きの中に、心のバランスをとるためのもう一つの側面が垣間見えます。
踊る男性とギターを弾く男性と二胡を弾く女性の、存在としての組み合わせもいいです。
男二人のパフォーマンスでも共感できたかもしれませんが、後半などは、ひとりはギターを延々かきならし、ひとりは白いおしろいを顔に塗り、白いドレスを着て、麦わら帽子をかぶり、秩序から解放されようとするような踊りをし、やりたいほうだいです。
その中に女性がいることで、男がいくらあばれても安心して見ていられる気がしました。
即興性を重視したフリースタイルの踊りで、自由なぶん、受け取り方も様々だと思います。
チケットの販売で演技者と観客に別れていますが、西洋の舞台公演に比べると、お祭りでの踊りとも共通点があるように感じました。
踊り手は気持ちを入れることができるかどうか、そして観る側はそれに感応できるかどうか、どのジャンルでもそうですが、そこに大きく影響されそうです。
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